おもちゃの歴史
そもそも日本のおもちゃは、はるか昔の7世紀初頭の飛鳥時代に、現在の中国、当時の唐から遣唐使を介して伝わってきたのが始まりです。
唐から大和朝廷に贈られた品の中に、青銅製の張型が入っていたそうです。
張型とは、男性器の形をしたもののことです。
現在、これは熊本に保存されていると言われています。
その後奈良時代には、水牛で出来た張型も伝わってきていますが、この頃には日本国内でも張型が作られ始めます。
ただし、この当時の張型は大人のおもちゃとして使用されているといよりも、権威のある人や祈祷師などが、儀礼などで祈る際に使ったりして、装飾品となっていました。
中には性具として使われていることもあったようですが、使うのは権力者や一部の富裕者で、庶民の暮らしには浸透することはありませんでした。
1625年(寛永3年)、江戸の両国に、四ツ目屋忠兵衛という人が、四ツ目屋という、現代のアダルトショップにあたるものを開店させます。
当時の四ツ目屋は、プライバシーにも配慮されていたのか、店内の照明は人の顔がわからないように暗くなっており、お客さんが声をかけると中からお店の人が顔を出すというようになっていました。
この四ツ目屋は、明治の終わりまで営業を続けていたと言われています。
ですから、庶民の間ではよく利用されていたということなのでしょう。
大人のおもちゃを「四ツ目屋道具」、秘薬は「四ツ目屋秘薬」と呼ばれるほど、アダルトショップとしての四ツ目屋は認知度を得ていたようです。
おもちゃを普及させたのは小間物屋
江戸だけでなく、日本全国に当時の四ツ目屋道具、現代の大人のおもちゃを普及させたのは、小間物屋でした。
小間物屋の仕事は、細々した日用雑貨を地方まで運び、売り歩く仕事というものです。
この時、大人のおもちゃも一緒に持ち歩いて、売り歩いていたようです。
この売り歩いていた大人のおもちゃには、「四ツ目屋七道具」といわれるものがありました。
張形を始め、今でいうコンドームのような役割を果たしていたと思われる兜形、現代でいうラブホールにあたる吾妻形、女性が2人で使う、張形の形をした互形、現代ではサックにあたる、お年寄りの方が多く使用した助け舟、女性気に挿入して使われた、金属製の2個の玉である琳の玉、男性器にはめて使う、ナマコで出来たナマコの輪、こけしの原型ともなった肥後芋茎の7種類です。
互形は、男子禁制だった大奥で奥女中が使っていたとも言われていますし、肥後芋茎は細川藩が将軍家へ献上していたという由緒ある品になります。
この頃には、現代の大人のおもちゃの原型はほぼ出そろっていました。
明治になると、風紀の取り締まりが厳しくなり、ほとんど販売が見られなくなります。
1948年(昭和23年)になると、薬事法の改正を受けて大人のおもちゃの販売には厚生大臣の許可が必要となりました。
これによって、それまで認可を受けていなかった大人のおもちゃは、販売が出来なくなってしまいます。
そのため大人のおもちゃの販売業者は、張形に顔を彫りこんで販売を始めるようになりました。
こけしや人形として売れば、販売可能だったためです。
その後、1956年(昭和31年)の売春防止法が公布される前後に、大人のおもちゃの販売は急速に加速します。
街頭での販売や訪問販売が通販へと変わっていき、昭和30年代後半から40年代にかけては、大人のおもちゃの販売店が多く開店するようになりました。
昭和40年代前半には、モーテルの建設が始まります。
それを受けて、一気に大人のおもちゃは全国区へと広まっていくことになりました。